バグバグ -Bug Bug-.02






 天気快晴。気温快適。
 そんなときは出かけるに限る。
「と、いうわけで……」
 四人の中でもっともテンションの高い慧は、ゲートをくぐるなりほかの三人を
振り返る。
「遊園地、だ――――!!!!」
 周りにいたほかの客たちがぎょっとしてこちらを見るが、慧はまったく気にし
ていない。むしろほか三名のほうが気にしていた。
「おちつけって。理里がきょどってるだろが」
 見た目とは裏腹に四人の中では最も落ち着いた雰囲気をまとった裕介が、慧を
軽くいさめる。
「わ、私はだいじょうぶだから……」
 顔を真っ赤にしてそんな説得力のないことを言ったのは、理里だった。
「いや、別に無理して速水のペースに合わせることはないって、里永」
 そう苦笑するのは、眞人。
 そんなタイプも雰囲気もまったく違う四人組みが貴重な休日をつかってなぜ遊
園地に来たのかというと。
「でもよかったのか、デートの付き添いなんて」
 裕介がどこかボーっとした表情で、眞人にボソッと聞く。
「頼んだのはこっちだから、気にするな。それに、里永もオッケーはしてくれた
んだし」
「そりゃ、あいつの性格だからな。本心がどうかなんて、お前にゃわからんだろ
、どうせ」
「む…………」
 図星を突かれて押し黙る。
「ま、お膳立てくらいならやってやるさ。どうせ慧のやつもそのつもりだろうし
な」
 口の端を吊り上げながら横目で伺うように慧を見る。理里となにやら盛り上が
っているのを見て、裕介は満足そうにうなずいた。
「? なんだ、お前」
 そんな裕介を見て眉をひそめる眞人。
「気にすんな」
 そういって裕介は歩き出す。
「あ、ちょっと! 勝手にいくなって!!」
 その後を慧が追いかける。
「……んじゃ、行こうか」
「うん」
 その後を、どこか釈然としない表情の眞人と笑顔の理里が並んで歩く。
 きっと楽しい休日になると、誰もが根拠もなくそう思いながら。




 朝からアトラクションを乗り回し、そろそろ休憩を入れようということになっ
た。
「っていうか、慧のやつ、はしゃぎすぎだろ……」
「……よく生きてたよな、俺たち……」
 トイレの洗面台の前でうなだれる男二人。ちなみに、外では女の子二人が芝生
の上でそれぞれのお弁当の見せ合いをしていた。
「里永も、あれに笑顔でついていくし……意外と丈夫だな……」
「まあな。昔から慧とまともに付き合えるのって言ったら、俺以外にはあいつく
らいしか思いつかん」
「へぇ……」
 眞人は感心した。
 理里が慧についていける、という事実だけでなく、目の前の裕介が、言い方は
どうであれ自身が慧にとってある種特別な存在であるという意味合いのことを言
ったことに対して。
「ん、どうした?」
「いや、なんでも」
 なんとなくいい気分になりながら、笑顔でそう答える。
「変なやつだな……。で、どうだ? 理里の意外な一面を知った気分は」
「あー、そうだな……」
 何を言おうか少し考えて――結局、思ったことを素直に口にする。
「楽しい。でも、もっと楽しくなれるんじゃないかって、期待してる、かな」
「へ。上出来だな」
 そして、男二人で笑いあった。
 ちなみに。
 個室に入っていた中年男性は、その声のおかげで出るに出られなくなったのだ
がそれはまったくの余談である。
 時を同じくして、慧と理里。
 二人は、トイレから少し離れた芝生にシートを敷き、そこに腰を下ろしていた
。お互いに腕を振るって作ってきた弁当の中身を見せ合っている。
「へえ……前からだったけど、今はもっとうまいじゃない。いいなあ。うらやま
しいなぁ……」
「ありがと。でも、慧ちゃんもずいぶんうまくなったよね。昔は玉子焼き一つ作
るのに大騒ぎだったのに」
「ちょっと、それは忘れてっていってるじゃん!」
「どうしよっかな。えへへ」
 そんな話をしながら、話題はだんだんと今日の午前中のことへ移る。
「あのコースター、も一回乗りたいなぁ」
「じゃあ、帰りにもう一回乗っていく? あ、でも、裕介君も浅葱君も、もうい
やだーっていってたっけ」
「ホントにねー。だらしないったら。やっぱあたしについてこれるのはあんただ
けね。眞人にくれてやるのが勿体ないわ。あんた、うちに嫁に来ない?」
「け、慧ちゃん……」
 理里が困ったようなはにかんだ笑みを浮かべる。
 その顔を見ながら、ふと、慧の表情に真剣味が増す。
「ね、理里……今日、あたしたち来てよかったの?」
 それは、一人の友人として、聞くべきかどうか悩んだ末の質問だった。
「あんたに頼られるのはありがたいんだけど、逆にあたしらがいることで何か邪
魔してるんなら、午後からでも……」
 別行動に、と言おうとした慧の手を、理里はそっと握った。
「ありがと、慧ちゃん。確かに二人きりじゃないのは少し残念だけど、正直、私
も二人だけだったら困ったと思うから。それに、そうやって気遣ってくれてるの
がわかるから、私も浅葱君も自然にできるの。だから、気にしなくていいよ」
 柔らかな笑顔でそう告げると、理里はシートの上に弁当を広げる。
 一方の慧は、ぽけーっとしながら今理里に言われたことを頭の中で反芻してい
た。そして、その意味をじっくりと咀嚼し、にんまりと笑顔を浮かべる。
「そ、か! んじゃ、体力を取り戻したら、残りのアトラクションを一気に攻め
るとしますか!!」
「うん! あ、でも、慧ちゃんの方こそ、いいの?」
「え、何が?」
「裕介君と二人っきりじゃなくて」
 ぶはっ! と。
 何も含んでいない口から何かを噴出す慧。
 見れば、理里の笑みの質が先ほどとは打って変わって、どこか意地悪な光を瞳
にたたえていた。
「あ、ああああんたは何言い出すのよいきなり!!」
「慧ちゃん、顔が赤いよ。かーわいー」
 からかう理里に何か言おうとするが、沸騰した頭では何も言えず、結局何も言
わずに黙り込んでしまった。
 そんな慧を見て、理里は『不器用だなあ』と思った。
 他人の恋愛にはとても機微が聞くのに、自分のこととなると途端不器用になっ
てしまう。が、それは自分もだと気づいて、なんとなくおかしくなった。





 理里がその傷に気づいたのは、昼食も終わろうかという頃だった。
「浅葱君、その傷、もしかしてさっきのでできたの?」
 さっきの、というのは、食事中に起きたとある騒ぎのせいである。
 その騒ぎとは、食事中に慧が理里に『あ〜んをしろ』と繰り返しあいコンタク
トでメッセージを送りつけたのが発端だった。いつまでたっても実行しない理里
に業を煮やしたのか、はたまた意地になっただけなのか、しまいにはジェスチャ
ーまでやり始めた。
 目の前でそんなやり取りがあればいくらなんでも気づこうというもの。当然の
ことながら気づいた眞人は、理里とのアイコンタクトでこれを無視することを決
定。
 無視されることに怒りを感じた慧は、力ずくで無理やり『あ〜ん』をさせると
いう強攻策で本末転倒な行動に出たわけである。
 理里は、眞人の頬にある掠り傷を、そのときの騒ぎでできたものだと思ったの
である。
「あー、これ? 違う違う。これは、朝の稽古でできたんだ」
「稽古?」
「ああ、こいつんち古い家で、剣道場が家にあるんだよ。で、近所の子とかに剣
道教室したりしてんだけど……こいつはそれとは別に、剣術のほうを習ってんだ
とさ」
「そうなんですか? でも、頬に傷ができるなんて……」
「大丈夫だよ。これでも昔よりは大分ましになってるし、たいしたことないから

 心配そうな表情の理里に、眞人は柔らかく笑顔を見せる。
 実際、昔は5分と待たずに全身痣だらけにされていたのだから、30分の稽古
で擦り傷や多少の打撲程度ならぜんぜん楽なほうだった。
「でも、すごいですね。家に道場があるなんて」
 理里は眞人の新しい発見に素直に驚いた。
「っていっても、小さなもんだけどね。剣術だってもう門下生もいないから、俺
一人だし」
「つまり、未来の師範代はお前で決定って事だよな」
「どうだかね。それより、次はどれに乗るんだ?」
 話題から逃げるように眞人が慧に話を振ると、慧はにやりと不吉な笑みを浮か
べた。
「んっふっふっ。次に乗るのはもう決まってるのよ、ね、理里」
「うん」
 元気よくうなずく理里と笑う慧を見ながら。
「……………………」
「……………………」
 眞人と裕介は言い知れぬ不安に襲われた。




 二人の男がベンチでうつむいている。
 どちらも肩で荒く息をしており、周囲3メートルに近寄るんじゃねえフィール
ドを形成していた。
 そんな中にずかずかしずしず入っていく女子二人。
「まったく、あの程度で根を上げるなんて、情けないわね」
「二人とも、大丈夫……?」
 裕介は無言。眞人は手でバツ印を作って返事とする。
 次に四人で乗ったアトラクションは、コーヒーカップだった。
 ただし、ただのコーヒーカップではない。
 まず、身長制限がある。次に、椅子にシートベルトがついている。最後に、荷
物は預ける必要がある。
 要はジェットコースター等と同じ準備が必要になるわけである。
 なぜその必要があるのかというと。
「なんだ、あの回転数は……胃の中がひっくり返るかと思ったぞ……?」
「いや、むしろ遠心力で背もたれに張り付く覚悟をしたよ、俺は……」
 つまりそういうことだった。
 その回転数、秒速3回転。さらに、中央にある例の台を回す事によってその回
転数はさらに上がるわけだが、はじめの段階ですでに命の危険を感じていた二人
に対し、女子二人は追い討ちをかけるように中央の台を回し続けていた。
 結果がこれである。
「ごめん、ちょっと休ませ」
「駄目」
 弱々しい眞人の言葉にかぶさるように慧が言った。ため息をつき。
「まったく……今日という日は限られてるのよ? 暗くなる前にあらかたのアト
ラクションに乗らないと、せっかくのフリーパスがもったいないじゃない」
「いや、俺はもう元は取ったと思うが」
 青い顔をして抵抗を試みる裕介。が、それに対しても、慧はあきれたように鼻
で笑う。
「甘いわね、裕介。元を取ったのがなに? そんなんじゃこの現代、生きていけ
ないわ! 元をとってもまだ搾り取る! これが常識よ!!」
 と、高らかに宣言する。
 それを見る三人の視線はどことなく微妙に生ぬるい。それに気づきながらも慧
は完全に無視。
「じゃ、いくわよ。次はそんなにきつくないから」
 といって慧が示したのは……。
『悪夢の恐怖ホラーハウス』
「微妙だな」
「微妙だね」
「微妙ねえ」
「…………」
 一人だけ黙りこくった人物に視線が集まる。理里だった。どことなく顔が引き
つっているようにも見える。
「えーっと、里永、大丈夫?」
「だっ! だだだ、大丈夫ですじょ!?」
 ぜんぜん大丈夫そうに見えなかった。
「じゃ、いきましょうか」
「って、いくのか!?」
「あったりまえよ。ほら、裕介たちなさい」
「へーへー……ったく」
 ぼやきながらもついていく裕介。
 それを見送りながら、眞人は理里に問いかけた。
「どうする? 外で待ってる?」
「い、いえ、行く、行きますよ!!」
 理里は自らを奮い立たせるように言うと、眞人の前に立って歩き始める。
 右手と右足が同時に前に出ていた。




 結論から言うと。
 理里はぜんぜん駄目だった。
 外に聞こえるんじゃないかというくらいの悲鳴を上げて、何かが飛び出してく
るたびに眞人にしがみついていた。いやまあそれがいやかというとどちらかとい
えばうれしかったわけではあったが。
「里永、里永」
「う……うん?」
「もう外だから。大丈夫だから」
 理里はきつく閉じていた瞳をそっと開き、出口を出たことを確認するとほっと
一息ついた。が、いまだに緊張が続いているらしく、きつく眞人の腕にしがみつ
いたまま離れない。
「っと、それにしても、あの二人は……」
 辺りを見回すが、慧と裕介の姿は見えない。
 理里が何かあるたびに驚いていたので、前を歩いていた二人との距離はどんど
ん広がりやがて完全にはぐれてしまっていたのだ。
 ……微妙に気を利かせられたような気がしないでもない。
 出口で待っているかと思ったが、その姿は見えない。慧はともかく裕介は目立
つ格好をしているので、探して見つからないということはこのあたりにはいない
かもしれない。
「二人とも、いないね」
「うん。とりあえず、どこにいるかだけでも確認しないと」
 そういってポケットから携帯を取り出す。ふと時間を見ると、中に入って一時
間近くが経過していた。
「ん? メールがきてる」
「慧ちゃんから?」
「ああ、みたい。……えーっと、――いつまでたっても出てこないから先に行っ
てる。待ち合わせは6時にゲート前――だって」
 メールの着信時間を見ると、もう30分以上前だった。
(そりゃ確かに待ちくたびれるよな……)
 苦笑する。
「んじゃ、二人だけでまわろっか」
「うん」
 二人は腕を組んだまま、笑いあった。




 それを遠くからのぞいている二人の視線があった。
 いわずもがな、慧と裕介である。
「しっかし、長かったな……ホントに一時間近くかかってるぞ……」
「ふふふ……あの子の怖がりは極め付けだからね」
 どこか自慢げな慧。裕介はそれをあきれたように見ている。
「でも、俺たちはこれからどうするんだ? ずっとあいつらを付け回す気か?」
「まさか。せっかくきたんだから遊び倒すわよ。それに、クライマックスだけ見
届けれれば文句ないし」
「クライマックスって、そう都合よくいくか?」
「いくわよ。あの子の考えそうな事なら私にだってよくわかるもの」
「そういうもんか」
「そういうもんよ。あんたには、わかんないでしょうけど」
 そういう慧の顔は、どこか寂しげ。
 それを見た裕介は、
「うっし! んじゃ、さっさと行こうぜ!!」
 気合を入れると、さっさと歩き出した。
「あ、こら! 待ちなさいって!!」
 慧は笑いながら追いかける。




 楽しい時間というのは、経つのが早い。
 子供のころからずっと不満に思ってきたことを、やはり今も不満に思う。
「あとひとつくらいしか乗れないか……」
 時間は17時20分。移動の時間も含めるとぎりぎりの時間。
「うん。そうだね……」
 隣にいる理里も、満足げながらもどこか寂しげな表情を浮かべている。
「最後、どれに乗る? 最後だし、里永が決めていいよ」
「うん。じゃあ、あれに乗りたい」
 そういって理里がさしたのは、観覧車だった。




「ふっ……思ったとおりね」
「女ってこええな……」
 裕介がげんなりとつぶやく。
 彼にはなぜ慧がここまで理里の考えを見抜いているのか、さっぱりわからない
。いくら幼馴染とはいえ、できすぎだ。
 一方、慧はといえば、そんな鈍い幼馴染に対してため息を心の中でつくばかり
だった。
「お……あんまり並んでないな。これなら、結構早く乗れるんじゃないか、あい
つら」
「そうね。夜景がきれいになるのはもう少したってからだし……まあ、夕焼けだ
って悪くないと思うけど、やっぱりそれなりに開く時間帯なんじゃないの?」
「そういうもんか……。で、どうする?」
「は? なにが?」
 突然質問を振られた慧は裕介に問い返す。
「いや、せっかくだしのらねーのか、アレ? どうせあいつらが乗ったらなんか
乗るんだろ。じゃあアレでいいじゃん」
「…………」
 そんな突然の話に慧の頭はフリーズする。
 ――しまった……何も考えてなかった……。
 何も考えてなかった、というのはつまり、見送った後になにをするのか。
 ――言い訳できないじゃない。
 計画を練る、ということに関してなら四人の中で一番の能力を持っているのは
慧だ。だがその分、突発的な状況にはあまり耐性がないのも事実だった。裕介は
それとは逆で、計画性はまるでないのだが、その時々に的確な行動を即断できる
決断力がある。
 裕介は本能的無自覚に、慧が無意識下で望んでいることに答えようとしていた

「ほら、いつまでもここにいたってしょうがないし、俺たちも乗ろうぜ」
 慧の手をつかんですたすたと歩き出す。慧はボーっとした表情でただその後に
ついていった。




 ゆっくりと上昇してゆく揺り籠の中、眞人と理里は向かい合ってお互いの事を
話していた。
「へぇ。じゃあ、理里とあの二人の家って別に近所ってわけじゃないんだ」
「うーん、一応近所って呼べるくらいの距離ではあるんだけどね。少し遠いかな
。裕介君と慧ちゃんは隣同士なのは知ってたんだ?」
「ああ。一応。裕介んちなら中学の時に何度か行ったことがあるし。……高校に
入ってからはあんまりないけど」
「そうなんだ。じゃあ、そのとき会わなかったのが不思議だね」
「そうだな」
 そういって笑いあう。ゆっくりと確実に過ぎる時間の中、少しでもこの時を思
い出に刻み込むように。
「…………」
「…………」
 そして話題が途切れると、自然とその視線は窓の外へと向かった。
 景色はその高度を増し、頂点へとさしかかろうとしているところだった。これ
で、半分が過ぎてゆく。
 ここからなら、自分たちの住む街までも見えるだろう。
「私が最初に浅葱君に会ったの、いつだかわかる?」
「え……?」
 唐突な質問に言葉が詰まる。
「え……っと……一年の時じゃないのか?」
 一年の時、同じクラスになった裕介と話していた時、やってきた慧の後ろにつ
いてきていたのを見たのが最初だったはずだ。
 少なくとも記憶の中では。
 しかし、理里はどこか満足げな笑顔のままゆっくりと顔を横に振る。
「違うのか……? じゃあ、どこだ?」
「あのね…………秘密、だよ」
「うわ、マジかよ!? そこは教えてくれるもんじゃないのか?」
「だーめーだーよ」
「そんな楽しそうに。……なあ、頼むよ。そんなこと言われると気になるだろ。
教えてくれって」
「だめったらだめ。それに、女の子の秘密を無理に聞き出したりしちゃだめなん
だよ」
 相変わらず笑っている理里は教えてくれそうにない。
 仕方なくあきらめた眞人はいきなりすっくとその場に立ち上がる。
「?」
 なんだかよくわからない理里はその動きを座ったまま見ていた。その視線の中
、眞人は自然な動作でくるりと半回転すると、
 ストン
 と理里の隣に腰を下ろした。
「は……はぁぁぁぁぁあああぁぁぁあ!?!?」
 突然の密着に顔を真っ赤にして慌てる理里。
 同様に顔を真っ赤にしながらも平静を装う眞人。
 二人とも視線を合わせず顔を真っ赤にしたまま固まり――結局、そのままの形
で落ち着いてしまった。
「…………」
「…………」
 再び会話が途切れる。
 思い切って行動してみたはいいものの、これからどうするかをまったく考えて
いなかった眞人は何か話をしようと話題をまとまらない頭で必死に模索して。
 見つからなくてさらにあせっていると、
「……あの」
 と、蚊の鳴くような声であったが、緊張で敏感になっていた眞人の耳はそれを
聞き逃すはずもなく、
「な、何?」
 多少上ずった声で聞き返す。
「…………」
 理里は何かを口に出しかけてやめる、というように口をパクパクさせて、結局
何も言えずにうつむく。
(…………っ!!)
 ダメだ、と。
 眞人の直感がそう告げる。今の理里の顔は、ほんの二週間前――眞人に告白を
したときと同じ表情をしている。
(里名がに、こんな顔させたらダメだ!)
 思ったときには、理里の手を強く握っていた。
「!?」
 理里が驚きに眞人を見る。
 眞人はニッと笑って、
「何? 大丈夫だよ。里永の言うことなら、何だってちゃんと聞くから」
 不安にならないで。怖がらないで。おびえないで。
 ありったけの願いを込めて、手に力を込め、やさしく微笑む。
 それに後押しされるかのように、理里の口から自然と言葉がつむがれる。
「あの……今日は、お願いをしようと思ってたんです」
 緊張したときの癖なのだろう。理里の口調が丁寧口調に変わっている。
 眞人は何も言わず、理里の言葉を待つ。
「あの……その……。
 ――っ、眞人君って呼んでもいいですか!!!」
 ひとつ深呼吸の後、すぐそこに眞人の顔があることも忘れて、大声を出してい
た。その声に少し驚く。
(……あー……)
 理里のお願いを理解すると、眞人は軽い自己嫌悪に晒された。
(っつーか、それくらいやっていいんだよな……)
 正直、眞人も理里のことを名前で呼ぼうと思ったことはこの二週間のうちに何
度もあった。だが、そのたびにどこか遠慮してしまっていた。
(それが、この娘を傷つけたのだろうか)
 だとしたらなんとも間の抜けた話だと思った。だから、
「……うん。願ってもないことだよ。ありがと、理里」
 と、素直に答える。
 その瞬間、ぱっと、まるで花が咲いたようにその表情が明るくなる。
「うん。ありがとう、眞人君……!」
 その、とても小さな喜びをかみしめるかのように、隣にいる眞人に聞こえない
ように、口の中でその名前を何度も繰り返す。
 眞人はそれを見ながら、胸の中に何かが暖かく染み渡っていくのを感じていた





 一方そのころ、慧は極限状態にあった。
「……お前、高いところ苦手だっけか?」
「そ、そんなわけないじゃない! 大体、それだったらジェットコースターとか
フリーフォールなんかに乗れるわけないでしょ!!」
 びりびりと窓まで震わす声量に圧倒される裕介。
「いや、別にそこまで怒んなくても……」
「怒ってないわよ!!」
 怒ってんじゃん……とすねたようにつぶやく裕介を見ながら、慧は頭の中で残
りの数分をどうするかを考えていた。
 事実、慧は怒ってなどいない。ただ単に、自分がこの状況で何をするべきかが
わからず戸惑っていただけだ。
 それもパニクっているならまだいい。
 しかし冷静さが戻ってきている今、残り数分のこの時間をどうしても意識して
しまう。
(あ〜もう、まいったなぁ……大体、裕介が変に気を利かせたりするから……)
 まったく見当違いな文句を心の中でつぶやいていると、不意に裕介が真剣な表
情を浮かべる。
「……? どうしたの?」
「あ? あー……いや、なんとなく、ヤな予感がしてな……」
「やな予感? あんたのって昔っからあたるわよね。どんな感じ? ……まさか
、観覧車が止まりそうとか言わないわよね?」
 今はもうたいした高さでもないが、それでもとまられて気分のいいものでもな
い。
「いや……」
 どこか茶化すような慧の言葉もどこか耳に入らない様子の裕介を見て、慧にも
じんわりと不安が広がる。
「ねぇ……ホントに大丈夫?」
「ん? あ、ああ。別にそういう不安はまったくねーぞ。まあ、不安に思わなく
っても何かあるときはあるんだし」
「いや、そうじゃなくて、あたしが聞いたのはあんたの方。顔色、悪いよ?」
 その言葉に窓を覗き込む。かすかに映る自分の顔は、確かに少し顔色が悪いよ
うに思えた。
「……っつってもな、別に超能力とかでもないんだし。気にするだけ損だろ」
 手をパタパタと振ってシートに深く沈むように座る。
「…………。まあ、あんたがいいって言うなら、いいけどさ……」
 ぜんぜん納得してない表情でため息をつきながら窓の外に視線を向ける。
「…………」
「…………」
 結局そのまま、お互いに無言の時間が過ぎてゆき――
「やれやれ、もうすぐ終わりみたいね」
 ゆっくりと近づく最下点の方を見る。
「ああ、そうだな。……そういえば慧。理里って今日お前んちに泊まるんだよな
?」
 何かのついでに思い出したかのように訊ねる。
「ん? そうだよ。それがどうかした?」
「んにゃ別に、なんとなく」
「ふーん……あ、あんた! 覗いたりなんかしたら承知しないからね!?」
「興味ねーよ。覗いてほしけりゃもう少し胸をゴブハッ!?!?」
 裕介のみぞおちにめり込む膝。同時に籠全体が ガゴンッ!! と大きく揺れ
る。
「ほら、馬鹿言ってないで降りるわよ〜」
 どこかおびえたような表情の係員がドアを開けると同時に慧はひょいっと外に
飛び出す。
「ったく……少しは加減しろよな。って〜」
 ぼやき、慧の後を追い外に出る。
(…………大丈夫、だよな?)
 なんとなく、本当になんとなく。
 なぜだか、眞人を自分の家に泊めたほうがいいような気がした。
「……あー、もう……」
 裕介はかぶりを振ると、慧の後について歩き出す。
 今日一日、とても楽しかった。ここ数年で稀に見る楽しい日だった。
 なのに。
 胸につっかえるようなこの不安は何なのだろう。




 慧と裕介がゲートの前に着いたときには、眞人と理里はすでにゲートの前で待
っていた。手をつないで。
 そのことを散々からかわれた眞人は怒り、理里は真っ赤になって慌てていた。
 その後四人でちょっとしたお土産を買って、電車に乗って帰る。
「送っていこうか?」
 という眞人に対し、
「今日は慧ちゃんの家に泊まるから」
 と、理里は残念そうに答えた。
 そして、三人が降りた電車の中、眞人は一人、今日一日の出来事を反芻してい
た。
「……………………」
 その唇に自然とうすい笑みが浮かぶ。ずっとつないでいた右手には、今も理里
のぬくもりが残っていた。
 そのぬくもりを包み込むように、ぎゅっとこぶしを握る。
『次は〜○○、○○です。お降りの際、お忘れ物の無いよう……』
 いつの間にか自分の降りる駅につくころだった。見れば、辺りの風景も大分緑
が多くなっている。
 眞人の家は、眞人が通っていた中学校の校区の山際の端に当たり、裕介と慧の
家は市街地側の端に当たっていた。
 ゆっくりとドアが開き、緑のにおいが鼻腔をくすぐる。
 ホームに立つと、薄暗い世界にぽつぽつと浮かぶ電灯が不気味に明滅している

 ふと、今降りた電車を振り返った。

 ぷしゅー

「あ」
 まるで頃合を見計らっていたかのように、その目の前でドアが閉じた。
 ゆっくりと加速してゆく電車。それを見ながら眞人はなぜか、

  何かとても大切で当たり前なモノとの決定的な決別を感じた。

「……行くか」
 今日が楽しすぎた。
 だから、そんな風に感じてしまうだけだと。
 そう言い聞かせながら歩き出す。
 出口は、暗い。






 帰り道の間、どこか裕介は上の空だった。
 そんな裕介を見るのに飽きたらしく、ずっと理里と話していた慧はいきなり裕
介の尻にヤクザキックをかました。
「ぅをいってぇ!? ッてなにすんだお前!?」
「あんたが鬱陶しいから悪いのよ! あたしは何も悪くないわ」
「そこまで開き直られるともう諦めしか残らないのが不思議だな……」
「慧ちゃん……さすがに今のはやりすぎ……」
 いきなりの暴挙をたしなめる理里に、慧は猛然と講義する。
「甘いわ理里。こいつを甘やかしたって得られるものなんて何もないのよ? だ
ったらせめてまともに稼動してないと迷惑じゃない」
「言いたい放題だな」
 火がついた慧にはなにを言っても火に油ということをよく知っている裕介は積
極的にかかわろうとはしない。
「――ったく。とにかく、あんたが凹んでるとこっちも調子が狂うんだから、と
っとと元気になりなさい」
 言い回しは妙だが心配しているらしい。
 そんな素直じゃない慧を見て、二人で隠れて苦笑する。
「おう。さんきゅー」
 そういってぽんぽんと慧の頭をたたく。
「あっ! あんたね、その子ども扱いやめなさいっていつも言ってるでしょ!」
「ん? 別に子供扱いしてるつもりはねーけど」
「してる、してるわ。絶対してる」
「っつーかお前は人の話聞けよ!!」
「ちゃんと聞いた上での公正な判断よ」
「け、慧ちゃん……」
 そんな、いつもどおりの言い合い。
 それがしばらく続いて。
「じゃあな」
 ぷらぷらと手を振る裕介。
「ん、またねー」
「またね、裕介君」
 慧と理里が速水家の中に姿を消すのを見届け、その隣の自分の家へ入ろうと、
門をくぐろうとしたところで……。
 ふと、山の――眞人の家のほうへ視線を向ける。
 ポケットから携帯を取り出し、それを手のひらで遊ばせながら開いたり閉じた
りを繰り返す。
「――――――。へっ」
 口の端を皮肉げに吊り上げると、そのままポケットへしまった。
(大丈夫に決まってんだろうが。なにしてんだかな、俺も)
 結局、何かに追われるように浮かんでくる『眞人を家に泊める』という考えを
封殺する。
「ま、手前ェなら自力で何とかするよな」
 それは、言い知れぬ不安を拭い去るための呪文のような一言だったのかもしれ
ない。
 そのまま、裕介は家の中へと消えていった。




 結局。
 彼は後に、眞人を呼ばなかった事を後悔する事となる。







 あとがき。

 定番ばかりをそろえてみましたが何か? 書いてる本人が食傷気味です。てゆ
ーか場面の移り変わり激しすぎ。展開唐突過ぎ。
 なんだかんだで01の倍近い長さになった02ですが、どうだったでしょう。
 もしかしたら03はもっと長くなるかもしれません。
 とりあえず、今後はほとんどかけない日常的な風景なのでやりたいことは大体
やっておきました。この四人が仲良くないと後でいろいろ不都合があるので、四
人の絆の深さとか在り方とかを強く意識したのは後半で前半は最早ただのノリ。
 とりあえず、友情だか愛情だかがマッチした青春物語の出来上がりです。最後
のほうになにやら不穏な空気がありますが。
 03あたりからどうにかして01の冒頭に持って行こうとは思っています。ワクワ
クしますね? 俺はしませんが。むしろ鬱ですが。
 たった二週間の楽しかった時間を胸に、少年少女は地獄へと放り出されます。
 しかしそれよりもなによりも、作者はネタ切れという恐怖に常に晒されている
わけですが。え、関係ない? ごもっとも。
 まあ、その辺はぼちぼち。それでは。
(だからあとがきじゃねえって)